目次
- 健全な精神は健全な身体に宿る
- ユリシーズの木馬
- 豚の真珠
- 見付けた
- 聞く耳ある者は聞け
- まず石を投げうつ
- 公益のため
- 邪念を抱く者に災あれ
- 芸術は長く人生は短し
- おれも画家だ
- 不可能という言葉は、我の字引にない
- クレオパトラの鼻
- 人間は葦にすぎない
- 考える葦
- 我思う、故に我在り
- 永遠の財産
- 大山鳴動、鼠一匹
- スフィンクス
- アキレス腱
- サムソンの髪
- 汝自らを知れ
- 人間を探している
- 魚
- 予言者、故郷に容れられず
- 笛吹けども踊らず
- 死体の如く
- 賽は投げられた
- ウエストミンスターか、勝利か
- 持てる者と持たざる者
- ローマは一日にして成らず
- すべての道はローマに通ず
- アテネに梟を
- 目には目、歯には歯
- 自由か死か
- 民衆(人民)の声は神の声なり
- 喜劇は終わつた、幕を引け
- 迷宮
- 総じて希みを捨てよ、ここに入る者
- サタンよ、さがれ
- 必要は発明の母
- 弱きものよ、汝の名は女なり
- カエザルの物は、カエザルに返せ
- 百日天下
- 火中の栗を拾う
- カルタゴは滅ぼさねばならぬ
- 万物流転
- 噴火山の上で踊る
- 我に触るな
- ダモクレスの剣
- 人民の安寧が最高の法たるべし
- 合衆国
- 自然は飛躍をなさず
- 分割して統治せよ
- 鉄血
- 見よ、この人を
- 人民の、人民のよる、人民のための政治
- 会議は踊る
- 万国のプロレタリヤよ、団結せよ
- ダニエル裁き
- パンを求める者に石を与える
- もつと光を
- 新しい酒を古い革袋に入れるな
- パンドラの函
- 正直なイヤーゴ
- 神聖なる単純
- 靴の紐を解くにも足りない
- てんとう虫
- 海だ、海だ
- 自由放任、通過許可
- 二兎を追う者は一兎をも獲ず
- ナポリを見てから死ね
- でも、それは動いている
- 生きていくか、死ぬか、それが問題だ
- ゆつくり急げ
- ゴルディオスの結び目
- 機会の頭は前に毛があり、後ろは禿だ
- 忍耐は苦しいが、その実は甘い
- コロンブスの玉子
- 叩けよ、さらば開かれん
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NEWS
- 12/6/13
- 書籍「社労士が見つけた!(本当は怖い)採用・労働契約の失敗事例55」6/13発売しました。
- 12/3/28
- 書籍「社労士が見つけた(本当は怖い)解雇・退職・休職実務の失敗事例55」3/28発売しました。
- 11/12/21
- 書籍「税理士が見つけた!(本当は怖い)事業承継の失敗事例33」12/21発売しました。
- 11/11/2
- 書籍「税理士が見つけた!(本当は怖い)飲食業経理の失敗事例55」11/2発売しました。
- 11/5/11
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西洋古典語典
西洋古典語典
- 著者
- 渡辺紳一郎
- 発行
- 昭和31年(1956年)
- 装幀・挿絵
- 横山泰三
- 著者
プロフィール - 明治33年3月16日生まれ。杉靖三郎の兄。大正13年東京朝日新聞社に入社。パリ支局長,ストックホルム支局長を歴任。戦後は海外の豊富な経験をかわれ,NHKのクイズ番組「話の泉」や「私の秘密」のレギュラー解答者として活躍,口ひげと博学で人気をあつめた。昭和53年12月22日死去。78歳。東京出身。
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コロンブスの玉子
コロンブスの王子
The egg of Columbus.(E)
これをスぺイン語では El huevo de Cristobal colon. (エル・ウェーボ・デ・クリストバル・コロン)
一四九二年、新大陸を発見したコロンブス Colombas(1436?-1506)
イタリヤのジェノヴァGenova の人であるから、イタリヤ語では Colombo である。コロンブスはラテン語のコルンブスの訛りである。ルネサンス時代の学者はラテン語風に名前を呼ぶ習わしがあつた。英語では、このラテン語を自国流に読んでコロンバス、スぺイン語ではコロンという。パナマ運河の北口にある港コロンはコロンブスの名に因んでいる。ついでにフランス語では Colomb と書いて、コロンと読む。
コロンブスはパヴィヤ Pavia の大学で天文学、地理学を学んだ。ギリシャの学者プトレマイオス Ptolemaios(英語のトレミイ Ptolemy)の「地球」説を信じ、またフィレンツェ(フローレンス)天文学者トスカネルリ Toscanelli の説に従つて西廻りでインドへ行けると思った。また、インドより遥か東にあるジパング Gipangu (チパング gipangu すなわち日本)、マルコ・ポロ Marco polo によつて伝えられた黄金に富む島へは、西廻りで行つたほうが近いと確信した。プトレマイオスは地球を実際より六分の一だけ小さく計算し、またマルコ・ポロは極東への距離を誇張したから、ヨーロッパから西へ進めば、たやすく日本へ行かれると思つた。一四九二年にドイツのマルチン・べハイム Martin Beheim の地球儀では、日本の位置をメキシコあたりに置いている。
コロンブスは、西廻り説を持つて各国を廻り、スポンサーを探したが無駄であつた。
ところが、一四九二年、スぺイン女王イサべリヤ Isabella は回教徒のグラナダ Granada を占領してスぺインを統一した。喜んでいた時であつたから、コロンブスに探険させることとなつた。
女王は三隻の船をコロンブスに与えた。旗艦サンタ・マリア Santa Maria 百トン、五十二人乗、ピンタ Pinta 五十トン、十八人乗、ニーニャ Nina 四十トン、十八人乗の三隻は容易に用意された。
しかし、乗り組む者がない、仕方なく、成功したら許す約束で罪人を乗せた。「地球」といつて、世界は丸いものだと考えるのはコロンブスだけ、あとの八十七人は、世界は平たいものと思つている。いつ、世界の端へ来て、すとんと落ちるか判らないという心配もある。
一四九二年八月三日、パロス palos の港を三隻に八十八人が乗つて出発。行けども行けども海ばかり、水夫たちは、こんな気狂のいうことに従つたら、とんだことになる、彼を海に投げこんで引返そうとする。そうした連中をなだめすかしての航海、闇の中を手探りに行くようなものであつた。
一四九二年十月十二日(金曜日)の午前二時、ニーニャ号の見張番ロドリゴ・デ・トリアーナ Rodrigo de Triana が陸地を発見した。これがグアナハニ Guanahani と土人の呼ぶ島、コロンブスは、これにサン・サルバドール(聖救世主)San Salvador という名を付けた。
サンタ・マリヤ号は坐礁したので、コロンブスはニーニャ号で一四九三年三月十五日、パロスの港に帰りついた。
ここまでは、コロンブスの探険についての確かな話であるが、「コロンブスの玉子」は伝説である。コロンブスが千辛万苦の後に、大成功で帰つて来たのであるが、これを羨みねたむ者が多かつた。歓迎の宴会でのこと、スペインの貴族たちが「こんな仕事は、なんでもない、学者の説を受売りして、西へ向つて航海しただけのことじやないか、誰にだつてできることだ」と、ささやいているのが、コロンブスの耳にはいつた。
そこでコロンブスは皆に向つて、「この玉子の尖つてるほうを下にして、テーブルの上に立ててごらんなさい」といつた。皆が、代わるがわる試みたが出来ない。「こりや不可能だ、できるはずがない、あなたには、できるんですか」
コロンブスは、玉子の先をテーブルの上で、ぐしやつと潰して立てた。
すると皆は「なあんだ、それなら誰にだつてできるよ」といつた。コロンブスは「諸君は、私がやつてから、なあんだ、といわれるが、私の航海もこの玉子みたいなものですよ」といつた。
これが「コロンブスの玉子」の話である。