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西洋古典語典

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著者
渡辺紳一郎
発行
昭和31年(1956年)
装幀・挿絵
横山泰三
著者
プロフィール
明治33年3月16日生まれ。杉靖三郎の兄。大正13年東京朝日新聞社に入社。パリ支局長,ストックホルム支局長を歴任。戦後は海外の豊富な経験をかわれ,NHKのクイズ番組「話の泉」や「私の秘密」のレギュラー解答者として活躍,口ひげと博学で人気をあつめた。昭和53年12月22日死去。78歳。東京出身。

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コロンブスの玉子

 コロンブスの王子
 The egg of Columbus.(E)
 これをスぺイン語では El huevo de Cristobal colon. (エル・ウェーボ・デ・クリストバル・コロン)
 一四九二年、新大陸を発見したコロンブス Colombas(1436?-1506)
 イタリヤのジェノヴァGenova の人であるから、イタリヤ語では Colombo である。コロンブスはラテン語のコルンブスの訛りである。ルネサンス時代の学者はラテン語風に名前を呼ぶ習わしがあつた。英語では、このラテン語を自国流に読んでコロンバス、スぺイン語ではコロンという。パナマ運河の北口にある港コロンはコロンブスの名に因んでいる。ついでにフランス語では Colomb と書いて、コロンと読む。
 コロンブスはパヴィヤ Pavia の大学で天文学、地理学を学んだ。ギリシャの学者プトレマイオス Ptolemaios(英語のトレミイ Ptolemy)の「地球」説を信じ、またフィレンツェ(フローレンス)天文学者トスカネルリ Toscanelli の説に従つて西廻りでインドへ行けると思った。また、インドより遥か東にあるジパング Gipangu (チパング gipangu すなわち日本)、マルコ・ポロ Marco polo によつて伝えられた黄金に富む島へは、西廻りで行つたほうが近いと確信した。プトレマイオスは地球を実際より六分の一だけ小さく計算し、またマルコ・ポロは極東への距離を誇張したから、ヨーロッパから西へ進めば、たやすく日本へ行かれると思つた。一四九二年にドイツのマルチン・べハイム Martin Beheim の地球儀では、日本の位置をメキシコあたりに置いている。
 コロンブスは、西廻り説を持つて各国を廻り、スポンサーを探したが無駄であつた。
 ところが、一四九二年、スぺイン女王イサべリヤ Isabella は回教徒のグラナダ Granada を占領してスぺインを統一した。喜んでいた時であつたから、コロンブスに探険させることとなつた。
 女王は三隻の船をコロンブスに与えた。旗艦サンタ・マリア Santa Maria 百トン、五十二人乗、ピンタ Pinta 五十トン、十八人乗、ニーニャ Nina 四十トン、十八人乗の三隻は容易に用意された。
 しかし、乗り組む者がない、仕方なく、成功したら許す約束で罪人を乗せた。「地球」といつて、世界は丸いものだと考えるのはコロンブスだけ、あとの八十七人は、世界は平たいものと思つている。いつ、世界の端へ来て、すとんと落ちるか判らないという心配もある。
 一四九二年八月三日、パロス palos の港を三隻に八十八人が乗つて出発。行けども行けども海ばかり、水夫たちは、こんな気狂のいうことに従つたら、とんだことになる、彼を海に投げこんで引返そうとする。そうした連中をなだめすかしての航海、闇の中を手探りに行くようなものであつた。
 一四九二年十月十二日(金曜日)の午前二時、ニーニャ号の見張番ロドリゴ・デ・トリアーナ Rodrigo de Triana が陸地を発見した。これがグアナハニ Guanahani と土人の呼ぶ島、コロンブスは、これにサン・サルバドール(聖救世主)San Salvador という名を付けた。
 サンタ・マリヤ号は坐礁したので、コロンブスはニーニャ号で一四九三年三月十五日、パロスの港に帰りついた。
 ここまでは、コロンブスの探険についての確かな話であるが、「コロンブスの玉子」は伝説である。コロンブスが千辛万苦の後に、大成功で帰つて来たのであるが、これを羨みねたむ者が多かつた。歓迎の宴会でのこと、スペインの貴族たちが「こんな仕事は、なんでもない、学者の説を受売りして、西へ向つて航海しただけのことじやないか、誰にだつてできることだ」と、ささやいているのが、コロンブスの耳にはいつた。
 そこでコロンブスは皆に向つて、「この玉子の尖つてるほうを下にして、テーブルの上に立ててごらんなさい」といつた。皆が、代わるがわる試みたが出来ない。「こりや不可能だ、できるはずがない、あなたには、できるんですか」
 コロンブスは、玉子の先をテーブルの上で、ぐしやつと潰して立てた。
 すると皆は「なあんだ、それなら誰にだつてできるよ」といつた。コロンブスは「諸君は、私がやつてから、なあんだ、といわれるが、私の航海もこの玉子みたいなものですよ」といつた。
 これが「コロンブスの玉子」の話である。